大谷石と神仏


大谷石は、古くから地元の人々の生活になくてはならない存在でした。

などの建築資材として、また、石垣道路などの土木資材として、さらには石灯籠などの装飾品としても生活の中に根付いてきました。また、大谷石は生活の糧をもたらしてくれるとともに、畏敬の対象でもありました。地域のそこここには、大谷石を用いた神社や祠などが今でも多数残っており、この地方の伝説にも、大谷石に対する人々の素朴な思いが伝えられています。

大谷に残る伝説と街のシンボル

大谷石の採石場跡地を利用して整備された「大谷公園」は、周囲の起伏に富んだ地形と、松や広葉樹の自然林とが相まって美しい風景をつくり出していますが、公園の周辺には古くからの言い伝えを残す奇岩があります。大谷寺や平和観音へ至る参道の岩壁にある「天狗の投石」は、戸室山の天狗が岩山の山頂に向かって投げた大岩が、岩壁の上に絶妙なバランスで乗ったものとされていて、下から眺めると、自然の妙に感心させられます。また、公園の中ほどには「親子がえる」の大石があります。村を襲った蜂の大群から、親子のカエルが岩に肌にしがみついて戦い、住民を守ったとの伝説に基づくものです。以来、カエルは地守神様として子孫に伝えられています。

810年に弘法大師が開基したとされる大谷寺は、本堂が大谷石の侵食でできた洞窟にすっぽりと収まっています。本堂の正面の岩壁に彫られた本尊の「大谷観音(千手観音像)」は日本最古の「磨崖仏」(岩壁に直接彫られた仏像)です。平安時代初期の作で、柔らかな大谷石に複雑な千手観音を彫るのは高い技術が必要です。これには、弘法大師一夜の作という伝説も残ります。さらにその奥には「釈迦三尊像」「薬師三尊像」「阿弥陀三尊像」が並んで彫られており、合わせて10体となる石仏は、国の特別史跡・重要文化財となっています。

戦後、昭和23年から6年の歳月をかけて大谷石の岩壁に彫られたのが「平和観音」です。高さ27メートルに及ぶ巨大な観音像で、戦没者の慰霊と世界平和を祈願して総手彫りによって制作されました。上に登ると大谷の街が一望できる壮大なスケールで、石の街大谷のシンボル的な存在になっています。

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